『北京のロック』 2002-08-08
気がついたら北京在住生活が開始してもう2ヶ月。
今の心境は『え?まだ2ヶ月しかたってないんかえっ!!?』って感じでもあるし『もう2ヶ月もたったの?』って感じである。
朝起きてメーターふりきりジェットを噴射して伊丹谷号をぶッとばし、オーバーヒートして伊丹谷号が爆発して眠りにつき、また次の日ぶっ飛ばす。そんな毎日が続いている。
楽しい事も辛い事も多いが今、人生のいい勉強になってることはまちがいない。
海外での生活は3ヶ月目がいろんな意味での過渡期とされてるようである。
長期間海外で生活した経験者は誰もが僕に僕に口にする。
『3ケ月経つと理由もなく単純に嗚呼、母国へ帰りたい。。。と思う本能的な複雑な気持ちが必ず襲ってくるよ。。。』と。今の所その本能は目覚めていない。
自己分析をすると『ワシこれからどうなんねん。。。?』という伊丹谷好奇心本能の方が圧勝であるようだ。。。3ヶ月目の自分の心境が今から楽しみである。
まあそんなこた~どうでもいい。
さて先日、北京の友人に『面白いバンドのライブがあるよ!』と教えて頂き北京のとあるライブハウスに足を運んだ。今まで勢いのいいイカシタロックバンドは北京でもいくつか目にしたが打ち込み(デジタルもの)の混じったようなロックバンドはあまり見ていなかった。ていうかまだ北京ではスンごく少ない。
自分も打ち込みを混ぜたロックをやっているせいかその日のライブはとても興味深々であった。
一番目にステージに現れたバンドは以前から僕がスンごく気にいっているクラブ系のバンドSであった。
昨年そのバンドのCDを友人に進められ以後、彼等のCDアルバムを愛聴していた僕は今日の日を待ち望んでいた。。。
ライブ場所は北京のど真ん中にある有名なライブハウス。
入場料は50元(750円)(たくっ日本のライブは高すぎる!アメリカもこんなもんであった。)入り口からもうヒト、ひと、人。。。。
客をかき分けかき分けやっとステージが見えた。
ステージには北京の楽器屋ではあまり目にしないものばかりが並んでいた。
マッキントッシュのG4、マックモニター、最新の高級なエレキドラム、ノードリード、ミキサー、シンセたちがコックピットのように舞台のシモテを陣取っている。
はっきりいうと北京の楽器屋はテクノ系の楽器は日本やアメリカ、ヨーロッパ程充実していない。
でもここにあるという事はこれらの機材を彼等はどこかで買ったという事である。(当たり前だが。。。)
Sはそんなにどメジャーでもないバンドみたいだが結構機材はしっかりそろえている。。。
『こいつらこれどこで揃えてんねん。。。? 何でそんな金あんねん。。。。?』
そんなこと考えながら。時間おしおしの開演を待った。
会場は超満員でギュウギュウ。。。それも半分くらいのお客さんが白人であった。
おまえぜったいアメリカ人やろ!といわんばかりのハーレーのTシャツを着た全身入れ墨で、でぶっちょ巨人たちがジョッキビール片手にうじゃうじゃと。。。
と思えばインテリ風な白人カップルもうじゃうじゃと。。。
ともえば韓国語がどこかから聞こえてきたり。。。。
中国で超有名なロックミュージシャンの顔も客席にちらほらと。。。
もうここ何処の国や。。。?状態
とにかくいつもの北京のライブに増して異状に外国人が多かった。(そういえばワシも外国人。。。)
リラックスした感じでステージにSのバンドメンバーが現れ、客席は大きな歓声に包まれる。
ドレッドへヤーで出てきた男性ボーカルとハダシのキュートな女性ボーカルがステージのフロントに。。。
他のバンドメンバーはコックピットに。。。
ライブはクラブ調の低音グイグイのインストで始まった。。。
男性ボーカルのウィスパーボイスと女性ボーカルのウィスパーボイスの心地よいハーモニーがバックトラックと調和しだしていく。。。
アコースティック調ありロック調ありクラブ調ありの盛り沢山な音楽であった。
このようなバンドが増えつつあるのは大変いい傾向である。
こんなライブを北京で早く見たかった。。。。
ステージングは照明もあまり良くなかったせいか物足りなかったが十分に楽しめるライブであった。
Sのライブが終わり白人のMCの後、次のバンドYが登場。
彼等は南の方から北京にツアーに来たらしくさすが香港に近いだけあってステージに
準備された機材レベルは日本と何も変わらなかった。ン~楽しみ!!早く始まれ!!
ドラムはサポートのエレクロリックドラマ-(しかももスンごくうまい!!こんなに
うまくエレドラを叩く中国人は始めてみた!!)、DJ、ベースは打ち込み、ギターは生、そして女性ギターボーカル。
日本、韓国、台湾で今、流行のボーカル女性でバンド男性のサンプリング好きなポップロックスタイル。
でも北京ではあまりこのスタイルのバンドは少ないのでそれだけでもワクワクした。。。
軽快なサンプリングリズムが流れ、生のエレドラがリズムを広げ、ロックギターが爆音をだし、ちょいとコジャレたポップなメロディーがその上にかぶさる。
ン~よい!よい!
正直ちょっと歌ものバンドのわりにはステージングが物足りなかったが充分世界のバンドと方を並べれるサウンドであった。
いろんな意味で彼等も『期待を裏切らない面白いバンド』であった。
ン~お腹一杯!!
この日は大変満足して帰宅した。
ちゅうかんじでこの日見たバンドは二つ。
あと、やっぱ最近見に行ったライブでスンごかったライブは北京のビジュアル系ロックバンドSである。
彼等は日本のメディアでもちょこちょこ取り上げられているらしいが北京の数少ないビジュアル系バンドの中では現在最高位らしい。
昨年の北京滞在時にこのバンドのライブを始めてみた。
一般的にビジュアル系といわれる音楽はどちらかいうと好きな方ではない。
しかしその時、僕はこのバンドに大変興味を抱いた。
そのバンドに関しては『音楽どうのこうの。。。見た目どうのこうの。。。』なんて関係なかった。
どちらかというと今彼等がやろうとしている事に興味を持った。
去年彼等のライブを北京で始めてみて思わず楽屋に駆け込んで質問したのが懐かしい。。。
日本でもビジュアル系の音楽をやるのは一般の人が思ってる程楽では無い。
ただ単に楽器演奏のレベルさえあればカッコがつく音楽とは訳が違う。
化粧、衣装、ステージングの練習。。。プロならどんなバンドでも金のかかる事だが
アマであろうがプロであろうがビジュアル系はとにかく金と手間がかかるのを知っている。。。
日本でたまにビジュアル系バンドと対バンした事は何度もあるし、ビジュアル系のバンドメンバーからの苦労話はよく聞いた。だから多少の裏も表を知っている。
日本でもバンドするのにひと苦労なジャンルなのにいったい北京のビジュアル系バンドはどのようにしてバンドを活動させているのかが大変気になった。
あとビジュアル(視覚)系と言われても音楽がしっかりしてないとこのジャンルのライブは見れたもんじゃ無い。
見た目、音、演出。。。すべてのバランスが完璧に整っていないと『らしく』見えないのがこのジャンルである。
ミュージシャンなら一度は経験があると思うがビジュアル系の音楽のアレンジを聞いて音に感心したり他のジャンルの参考になる事は多々ある。伊丹谷的には『ビジュアルサウンド系』とでも読んだれよ!と思う。
僕が10代の時に一緒にやっていたバンドのギターリストが今アジアで超有名な日本の某ビジュアル系バンドのギターリストとして活躍している。
当時、彼はむちゃくちゃ音楽に研究熱心でしっかり音楽にアイデンティティーをもっていたし、人一倍音楽にはくわしくどんなジャンルにでも対応できる技術と知識を持ったギターリストであった。
だから彼等がビジュアル系と呼ばれるのは僕は同じミュージシャンとしてあまりいい気がしない。。。
グラビアアイドルバンドがそう呼ばれるなら理解できるが。。。
せめてグラマラスロックぐらい言うたれよ。。。(ン。。。いっしょか?)
あと、この間アメリカの新聞記事で読んだがアジアの音楽で今、欧米人が一番アジアアイデンティティーを感じているのはこのジャンルらしい。
彼等からすると今はやりのアジアのR&R、R&Bやヒップホップは白人が黒人が『北国の春』を一生懸命歌っているように見えるらしい。
まあとにかく今ビジュアル系はアジアではけっしてバカにはできない立派な音楽ジャンルの一つであると僕はビジュアル系を否定する人たちに言いたい。。。。
かといって伊丹谷が『これからのオレの音楽はビジュアル系じゃ~!!』と言ってるわけでは無い。。。
すべての音楽を肯定する僕のポリシーの中のほんの一つの考えを述べてみただけ。。。
あらあら、えらい話がとんだ。。。
まあとにかく北京のビジュアル系バンドSを半年ぶりに見る事になった。
彼等も日々海外の音楽を研究して毎日ああだこうだ考えて自分達で新たな道を北京で切り開いていっている北京バンドの一つである。
日本ならそのへんのうまいバンドのマネさえしとけばそれなりに様になるが、彼等にはマネする情報が明らかに少ない。原宿にあるようなビジュアル系のショップも少ない。
にもかかわらず韓国、日本にまけないステージを見せる彼等に期待した。
案の定、半年たったSは案の定またかなりの成長をここ北京のステージで披露していた。
ステージングも演奏力も確実に成長していた。客もコスプレ大会のような『本間にここ北京か?』と思わせるようなファンがうじゃうじゃと。。。
おそらくまたこのバンドに影響を受けた北京キッズがバンドを組みだしている事であろう。。。。
僕が知らない良いバンドは北京にはまだまだもうじゃうじゃといる。
パンク、ロック、ジャズ、テクノ。。。。とにかく北京にはどんなジャンルのバンドも存在する。
僕もまだほんの一部しか知らない。
これからどんなバンドに出会うかそれだけでも楽しみである。
しかしこれからいったい北京のロックはどうなるのだろう。。。
最近北京では『北京ロックは終わった。。。』といろんな音楽関係社の偉いさんたちが口にしているようである。僕は評論家でも何でもないし、あくまでもただの音楽家なので実際どうなのか?
詳しい事はわからない。
が、確かに今北京に住んでいても本やテレビで見た80年代、90年代の独特の熱い北京の風はあまり感じない。。。むしろ韓国、日本とあんまりかわらんな~と思うことの方が多い。それは確かに残念である。
でもそれは外国人や客観的な昔の北京ロックファンたちが
『北京ロックはこうあって 欲しい。。。ああ、あって 欲しい。。。』と思うエゴではないかな?と思う事がある。
もうこれだけ国際都市しかもドでかい国の首都北京なのにいつまでも昔の昔のスタイルはひきずってられないし、常に他の国と肩を並べようとする姿勢はごく自然の事である。
ロックはその国のすべてを写し出す鏡である。誰にも変える事はできないし、誰にも守る事はできないと思っている。どんどん変わってどんどん進化する北京ロックはまさに今の混乱しながらも日々経済急成長している北京を象徴している。
どの音楽ルーツを探っても『むかしはよかった。』『あの時はよかった』といわれている。
そうやってロックは進化し続けてきた。。。
そう考えるとスンごく自然な事である。
今の北京ロックがそうならこれが今の北京なんだからそれでいい。
ただこの街は確実に今の先進国とは何か違った強烈な所を持っているので音楽の面でも今後また強烈なアイデンティティーを持った新しい何かを生み出す事は間違い無い。
それは改めて北京に滞在して痛感している。
とにかく僕は今同じアジア人として、次のなんやよ~わからん今、世界中に注目されているけったいな北京がどんな次なるロックを生み出そうとしているのか?を今ここで肌で感じたい気持ちが強い。
今後の自分の長い音楽人生の中で確実に良い刺激を受ける事は間違い無い。
その上、実際自分もそこで音楽活動をしながらこの国を深く知る事ができ、そこで生活して音楽を作り活動していけたらこれほど面白い物は無い。。。
いつまで北京にいられるかまだわからないがこれからの長い音楽人生で最高の体験になる事は間違い無いであろう。。。
さあこの先どうなるのか『北京のロック』。。。
『おのれみたいなまだ北京の事何も知らんやつがガタガタぬかすなボケ~~!!』
と北京通の方々に怒られるかもしれないが北京の事をまだ何も知らない僕だがだからこそ客観的に見れるところがある。おそらく今後この街にいればいる程この気持ちはここに薄れていきそうな感じがする。。。
これだけは自分が音楽家としてもの作りする人間としてできれば避けたい。
いつまでも北京を客観的に見つめられる事ができる新鮮な気持ちでこれからの北京を見て行きたい。
絶対その方がこの街にいて楽しいし日本人ミュージシャンとして北京に住む意味があると僕は思う。
だからこそ日記に今のこの気持ちを書き残してみた。。。
いずれにしても今後の北京ロックが大変楽しみである。。。