河北建築科技学院にて大学講義! 1999-11-23
劉さんの街、邯鄲市のたったひとりの日本人、井口 博(中国語読みでチンコウ。ちなみに彼は大変女好きである)。
思い起こせば昨年の今ごろ大阪難波の楽器屋さんでたまたま彼と僕が出会ったことからこのプロジェクトは始動したのだった。
教室へ入って学生達とご対面
「私達は伊丹谷良介黒龍現代楽団です」
彼は大阪出身の39歳(25日で40歳になる)、天下茶屋育ちのチャキチャキの関西人である。
一見ヤクザ風な彼は、一年前、中国でコンサートをしてくれるアーティストを大阪で探していた。
あんないかつい胡散臭そうなおっさんに話し掛けられるのは僕くらいなものだろう。
今でも「彼の話によく乗ったなぁ」と思う。しかし彼のおかげで劉建新にも出会え、今の僕がある。
そして今、中国にいる。人生はどうなるかわからないものだ。
生演奏で大盛り上がり♪
学内でみつけた屋外卓球場
そんな「人生どうなるかわからない」という人間の一人が井口さんでもある。
彼も劉さんとの出会いで人生が変わった。
そして中国の河北建築科技学院(大学)で日本語の非常勤講師をしている。
その彼の講義に伊丹谷良介黒龍現代音楽団がゲストに招かれた。
学生達とバスケに興じる
ホテルの食堂で演奏のサービス
大学は大変すばらしく、少し懐かしくも感じられた。とにかくバカでかい大学であった。
建築デザインなどをメインにしている大学らしい。雰囲気的には大阪大学のそれに近かった。
学生達は本当に生き生きした顔で教室に座っていた。
井口さんは(我々が)見慣れないスーツ姿でばしっときめている。
もうすっかり大学の先生である。 その教室にツカツカとド派手な僕たちがはいっていった。
学生達は僕たちを見てなにやらザワザワしている。
そしていつものごとく井口先生の日本語会話の講義が始まった。
井口「わたしは」
学生「ワタシハ!!」(ちょっとたどたどしい)
井口「バスに乗って」
学生「バスニノッテ!!」(やはりたどたどしい)
すっかり私達も学生になって教科書を読んだ。心があらわれるとはこのことである。
その後僕は学生達とコミュニケーションの授業を始めた。学生達は盛り上がってくれた。
そして授業の最後に曲を歌った。「朋友」では全員で大合唱!
なんとも幸せになれた一日であった。